卒業の日「校務員さんありがとう」
東日本大地震による津波で、岩手県山田町立船越小学校の2階建て校舎が水没したが、
校内児童176人は裏山に駆け上がって無事だった.
25日に行った卒業式では、危険を察知して避難を先導した校務員の田代修三さん(55)を
「助けてくれてありがとう」と児童らが取り囲み、喜びをはじけさせた。
3㍍立つ同校は、津波の際の避難先になっており、地震直後、児童たちは日頃の訓練通り校庭に避難した。
しかし、海面が膨れ上がっているのに気付いた田代さんは、佐々木道雄校長に「山に逃げたほうがいい」と進言。
児童らはさらに40㍍高い裏山に避難した。
田代さんは、1933年の昭和三陸地震を経験した父から「津波が来たら1㍍でも高いところへ」といわれて育った。
「壁のような波が来ると直感し、とにかく安全な場所を目指した」と振り返る。
30人が巣立った卒業式は近くの保育園で行われた。
船越裕貴君(12)は「田代さんが『山へ逃げろ』と
叫んでくれなかったら、みんな死んでいたかもしれない」と話した。
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동일본의지진에의한쓰나미로,이와테현야마다立船초등학교2층건물은수몰됐지만
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교내아동176명는뒷산으로올라가서무사했다
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25일행해진졸업식에서는위험을감지하고피난을선도했던교무원田代修三씨(55)를
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"도와줘서감사합니다"라며아동들이둘러싸여기쁨을넘치게했다
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해발3미터의학교는쓰나미때의피난처가되기도해서지진직후아동들은
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평소의훈련거리인교정으로피난했다
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그러나해수면이부풀어오르고있는것으로안타시로씨는사사키교장에게
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산으로피신시키는것이났다"라고말을하고아동들을40미터높이의뒷산으로피난시켰다
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타시로씨는1933년쇼와三陸지진을경험한아버지로부터"쓰나미가온다면
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1미터라도높은곳으로"라고들으면서성장했다.
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"벽과같은파도가올것이라는직감을하고어쨌든안전한장소를목표로했다"하고
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회고했다
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살아난30명의졸업식은가까운보육원에서행해졌다
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후나코시유우키군(12)는"타시로선생님이’산으로도망쳐라"라고소리쳐주지않았으면
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모두죽었을지도모른다고말했다.
최악의대지진에쓰나미원전방사능의사태는
한나라의불행이라기보다는우리전세계를긴장시키는대참사였다.
불행을딛고오늘도복구에안간힘을쓰는그들에게
기적과같은일이
곳곳에서일어나주기를바라며
그들에게"頑張れ힘내세요"
***指/山口のり***
今でも あなたの あの指が
私の うなじで 暮らしてる
ときどき 夜更けに 淋しいと
いたずら 描きを するのです
悪い指です あの ゆびは
涙のあとを どこまでも
たどって ついてくる
(えがき描き)(夜更けよふけ)