○何を以って城というのか
しろ【城】
敵襲を防ぐための軍事施設。古代には朝鮮・蝦夷(えぞ)対策のために築かれ、中世には自然の要害を利用した山城が発達したが、このころのものは堀・土塁・柵(さく)などを巡らした簡単な施設であった。戦国時代以降、政治・経済の中心地として平野に臨む小高い丘や平地に築かれて城下町が形成され、施設も天守を中心とした堅固なものとなった。
<デジタル大辞泉より>
ということで、端的に言えば敵襲に対して防御するための軍事施設です。ただし平和な時代になると領地支配のシンボル的な要素、役所としての機能、君主の住居としての機能の方が強くなっていきます。他方、ヨーロッパの城の場合は中世の石造りの城が大砲の登場で簡単に破壊され、特に高い塔は格好の標的になるようになると、軍事機能に特化した要塞と、壮麗な君主の館としての城に2分化していきます。
また、日本では戦国時代の小田原城が近い存在ではありますが、中国やヨーロッパでは都市全体を城壁で囲んだ例が多くみられます。英語では都市を囲む城壁をcitywallと言ってcastleとは区別されますが、中国で城と言えば、この城壁都市の意味合いが強いのが特徴です。大規模なものだと万里の長城も「城」ですし、そこまで規模が大きくないにしても、大都市の場合、例えば北京の場合は、市街地を囲む北京城の中に、さらに皇帝が住む紫禁城があります。前者は外城、後者は内城と区別されます。
해라【성】
적습을막기위한군사시설.고대에는조선・에조(일본선주민)대책을위해서쌓아올려져중세에는자연의요충지를이용한산성이발달했지만,요즘의것은굴・토루・책(찢는다)등을순등한간단한시설이었다.전국시대이후,정치・경제의중심지로서평야에임하는작은언덕이나평지에쌓아올려져성시가형성되어시설도천수각을중심으로한견고한것이되었다.
<디지털대말샘에서(보다)>
그렇다고하는것으로,단적으로말하면적습에대해서방어하기위한군사시설입니다.다만평화로운시대가되면영지지배의심볼적인요소,관공서로서의기능,군주의주거로서의기능이강하게되어갑니다.한편,유럽의성의경우는중세의석조의성이대포의등장에서간단하게파괴되어특히높은탑은모습의표적으로되게되면,군사기능에특화한요새와장려한군주의관으로서의성에2분화해갈것입니다.
또,일본에서는전국시대의오다와라성이가까운존재입니다만,중국이나유럽에서는도시전체를성벽에서둘러싼예를많이볼수있습니다.영어에서는도시를둘러싸는성벽을citywall이라고해castle와는구별됩니다만,중국에서성이라고말하면,이성벽도시의의미가강한것이특징입니다.대규모것이라면만리장성도「성」이고,거기까지규모가크지않은다고해도,대도시의경우,예를들면북경의경우는,시가지를둘러싸는북경성가운데에,한층더황제가사는자금성이있습니다.전자는토죠,후자는내성과구별됩니다.
○日本の城の歴史
先ほどの定義に従うと、たとえ城という名称ではなくとも、佐賀県にある弥生時代の環濠集落跡である吉野ヶ里遺跡も立派な城であるといえます。ご覧のように、物見やぐらや二重の環濠など防御機能が充実しております。このため、2006(平成18)年に財団法人日本城郭協会が定めた「日本100名城」の1つに指定されています。
やはり富の分配を巡って他のムラとの戦争が勃発するようになって登場したわけで、このように弥生時代に登場した城としての機能は、飛鳥時代から奈良時代に古代山城(朝鮮式山城)の築城技術が伝えられたことにより、今度は山の上にも建設されるようになります。これは特に、663年の白村江の戦いの後で日本・百済の連合軍が、唐や新羅連合軍に敗北し、海外からの侵攻に備えて、天智天皇の命で西日本を中心に造られるようになったもの。
大宰府を守るために建造された、福岡県の大野城が代表例です。ちなみに平野部には、長さ約1.2kmの水城(みずき)という直線状の塀と堀も築造され、大宰府の防御を強化しています。
방금전의정의에따르면,비록성이라고하는명칭은아니어도,사가현에있는야요이시대의환호집락자취인요시노마을유적도훌륭한성말합니다.보시는것처럼,구경망루나이중의환호등방어기능이충실하고있습니다.이때문에,2006(헤세이18)년에재단법인일본성곽협회가정한「일본100유명한성」의하나로지정되어있습니다.
역시부의분배를둘러싸다른얼룩짐과의전쟁이발발하게되어등장한것으로,이와같이야요이시대에등장한성으로서의기능은,아스카시대부터나라시대에고대산성(조선식산성)의축성기술이전해진것에의해,이번은산위에도건설되게됩니다.이것은특히,663년의백촌강의싸움의다음에일본・쿠타라의연합군이,당이나신라연합군에패배해,해외로부터의침공에대비하고,텐지천황의생명으로서일본을중심으로만들어지게된것.
외교에관계한관청을지키기위해서건조된,후쿠오카현의오노죠가대표예입니다.덧붙여서평야부에는,길이약1.2km의미즈키(미즈키)라고하는직선모양의담과굴도축조되어외교에관계한관청의방어를강화하고있습니다.
古代山城は、狭義には「日本書紀」「続日本紀」に記載があるものを指しますが、同時期には上写真の鬼ノ城(岡山県)のように、何の記載も無い城も日本各地に存在しています。
고대산성은,협의에는「일본서기」「속일본기」에기재가있는것을가리킵니다만,동시기에는상사진의귀신노성(오카야마현)과같이,어떤기재도없는성도일본각지에존재하고있습니다.
一方で東日本の場合、蝦夷(えみし)との戦争が続いた東北地方で、7世紀から9世紀にかけて多賀城(宮城県)や出羽柵、秋田城などの軍事拠点と行政拠点を兼ねた城柵が築かれました。特に多賀城は規模が大きく、東北における朝廷の支配拠点としての性格を持っています。
한편으로동일본의경우,에조(웃음해)와의전쟁이계속된동북지방에서,7세기부터9세기에걸쳐타가죠(미야기현)나데와책,아키타성등의군사거점과행정거점을겸한성책이쌓아올려졌습니다.특히타가죠는규모가크고,토호쿠에있어서의조정의지배거점으로서의성격을가지고있습니다.
これらは朝廷の力が弱まると衰退し、中世になって武士の時代になると、平地に堀をめぐらせた領主の館や、戦闘時に立てこもる山城が造られるようになっていきます。さらに、領主の館を中心とした城下町も形成されていきます。
そして戦国時代になると、丘陵に築いた平山城(ひらやまじろ)や、平地そのものに築いた平城(ひらじろ)が次第に主流となり、領国経営としての使い勝手も追求されていきます。さらに、織田信長による安土城、豊臣秀吉の大坂城に代表されるように、戦国時代の末期になると戦闘機能のほかに、領国支配のシンボルとして天守閣が造られます。
이것들은조정의힘이약해지면쇠퇴해,중세가되어무사의시대가되면,평지에굴을둘러싸게한영주의관이나,전투시에틀어박히는야마시로가양성해지도록(듯이)되어갑니다.게다가영주의관을중심으로한성시도형성되어서갑니다.
그리고전국시대가되면,구릉에쌓아올린히라야마성(히등이나마화로)이나,평지그자체에쌓아올린히라죠오(히등화로)가점차주류가되어,영토경영으로서의쓰기도추구되어서갑니다.게다가오다노부나가에의한아즈치성,토요토미히데요시의오오사카성으로대표되도록(듯이),전국시대의말기가되면전투기능외에,영토지배의심볼로서아성의망루가만들어집니다
これを契機に安土桃山時代から江戸時代にかけての城は、領国支配のシンボルとして美しさも追求され、現在でも見られるものや、復元されたものが多いため、我々が一般的に持つ城のイメージとなっています。
なお、日本全国いたるところに大小様々な城があり、丘や山があれば、そこは城か古墳か・・・の状態であったものも、江戸幕府によって一国一城令が発令されたため、基本的には一大名家につき一城を残し多くの城は破却されました。これによって中世以来の山城の大半は姿を消しています。
이것을계기로安土桃山시대부터에도시대에걸친성은,영토지배의심볼로서아름다움도추구되고현재에도볼수있는것이나,복원된것이많기때문에,우리가일반적으로가지는성의이미지가되고있습니다.
덧붙여일본전국도처에대소여러가지성이있어,언덕이나산이있으면,거기는성이나고분인가・・・상태인것도,에도막부에의해서일국일성령이발령되었기때문에,기본적으로는일대명가에대해일성을남겨많은성은파각되었습니다.이것에의해서중세이래의산성의대부분은자취을감추고있습니다.
一方、一般的に3万石以下の大名や、上写真の高山陣屋のように、幕府直轄領(天領)の拠点は陣屋と呼ばれる施設を造って、城の代用としたほか、幕末には五稜郭のような西洋式の要塞や、江戸を守るための台場も造られています。