城を見に行くと、上写真のように本丸、二の丸、三の丸、さらには色々な名称の曲輪(郭とも。いずれも「くるわ」と読みます)と書いてあることに気がつくと思います。さらに、本丸にあった御殿は本丸御殿、二の丸にあった御殿は二の丸御殿ということもありますね。今回は、これって一体何?という話と、どのように配置するのが通常なのか、というお話です。
まず、これって一体何?のお話。
本丸という名称にしろ、○○曲輪という名称にしろ、いずれも一定の広さを持った区画です。そして、このエリアごとに防御陣地・建造物を建てていきます。中世の山城では、小規模な曲輪を幾つも造っていき、特にどれがメインという役割はありませんでしたが、戦国時代以降は一郭を主とし、二郭以降を従とする構成が一般的となり、さらに江戸時代になると本丸を中心に、二の丸、三の丸を配置し、あとは必要に応じて補佐的な小曲輪・・・となっていきます。
ちなみに、四ノ丸という名称は存在せず、三の丸よりさらに曲輪を造った場合は、上図のように朝日丸や、一番上の図のように八幡曲輪など、特定の名称で呼ばれるのが通常。一説には四=死を連想させるものだから、と考えられています。
また、こうした曲輪やこれに伴う堀や石垣、門の位置など城全体の設計を
こちらは
こちらは
こちらは
ちなみに亜流として
さらに、幕末に建造された五稜郭(北海道)など、星形の要塞は
以上が基本配置ですが、これらは江戸時代の軍学者たちによって、既存の城郭の縄張を分類した際に付けられた名称で、実際のところ「今回は輪郭式で築城するぞ!」と軍学に基づいて築城した例というのは稀だとか。また、後述するように複数の形を組み合わせた変形バージョンも色々とあります。
また、本丸を防御するための小さな曲輪(
その変形バージョンは、
上図は
ちなみにこちらが広島城。二の丸が非常に小さいので、わかり難いかも知れませんが・・・。ちなみに現在、本丸と二の丸は現存していますが、三の丸は姿を殆ど留めていません。