(11) 様々な門を分類する

城の見方ガイド(11) 様々な門を分類する

○門とは何か?

門は城に限らず、一般住宅や寺院でもお馴染みですが、城の門は出入口としての役割のほかに、

攻め寄せる敵を阻むという役割もあるため、住宅より大きい門も数多く存在し、様々なバリエーションがあります。

また、城郭の正面口である大手虎口(오테고쿠치)の門を「大手門追手門(おおてもん)」と称し、

その裏口にあたる搦手口(카라메테쿠치)の門を「搦手門(からめてもん)」と称しました。

大手門は、城が無くなった後でも地名として残っている場合が多いですね。

한정하지않고,일반주택이나사원에서도익숙한것이다만,출입구로서의역할외에,

가까이쳐들어오는적막는다고하는역할도있기위해,주택보다많이존재,

여러가지바리에이션(변형)이있다.

,성곽정면인大手虎口(오테고쿠치)오테몬/추격자(おおてもん)」이라고칭해,

뒷문에해당하는搦手口(카라메테쿠치)(からめてもん)」이라고칭했습니다.

오테몬,없어진다음에지명으로서남아있는경우많다

 それでは、様々な門の形を分類していきましょう。

○門の分類

冠木門 (新宮城)
冠木門(かぶきもん)は屋根(지붕)が無く、二本の柱に開閉する扉(문)を付けたものです。
古代からよく見られるタイプ。



高麗門 (旧膳所城北大手門/現・篠津神社表門)
高麗門は背面を見ると非常に特徴的で、切妻屋根を持ち、さらに門の後ろに控柱を立てて、
その上に小屋根があります。
これに対し、門柱2本に切妻屋根をかけただけで、このような控柱を持たない門は、棟門(むなもん)といいます。

薬医門 (水戸城)

薬医門は、6本の親柱を持ち、鏡柱から控え柱までを取り込み、

切妻屋根の端を突き出させているのが特徴の門です。

公家や武家屋敷の正門としても使われたほか、扉を廃した上で医家の門としても使われたことから、

この名称がついています。


櫓門 (舞鶴城)
櫓門は門の上に長屋状の建物(多聞櫓・渡櫓)を設けたタイプのこと。
重要な場所に設置された堅固な門で、中央に両開きの大きな扉を設けています。
上写真のように、門が石垣に挟まれているタイプのほか・・・。

櫓門 (弘前城)
こちらのように石垣を造らず、平地に二重二階の門を造る場合もあり、
楼門(ろうもん)形式とも呼ばれます。


唐門 (二条城)
唐門は、唐破風を持つ門のことです。ちなみに上写真のように、開口部正面に唐破風があるものを、
向唐門(むこうからもん)といいますが、左右に唐破風がある場合は、平唐門(ひらからもん)と呼びます。


長屋門 (旧内藤家長屋門/広島県福山市)
長屋門は、長屋の中間部を門としたもの。
武家屋敷をはじめとする住宅によく見られるものです。


埋門 (高松城)

埋門は「うずみもん」と読み、主に石垣の下部をくり抜いたようにして造られた門です。

○防御力を強化した枡形門

さて、城の中でも重要な場所は門を2つ組み合わせた枡形虎口(ますがたこぐち)を採用していることがあります。

虎口とは曲輪の出入り口という意味で、さらに枡形というのは、

米とか油とかを計量する枡(ます)の形に似ていることに由来しています。

こうした二重の門の配置を枡形門(ますがたもん)と総称し、よく見られるのは最初の門が高麗門、

次の門が櫓門というパターン。

上写真は金沢城河北門で、こちらは2か所の城門を直角にずらした内枡形を採用。高麗門を突破した敵は、

四角い空間に誘い込まれ、左折して櫓門に向かわねばなりません。


逆に、2か所の城門を直線状に配置した場合は、外枡形と呼ばれます(上写真は松本城)。

この場合、最初の門は曲輪から突き出したような形になっています。

枡形門は最初の門が突破されても、次の門からの攻撃で敵を殲滅できる構造です。

特に内枡形の場合は、真っ直ぐ敵が進入できず、

次の門を攻撃している最中は三方向から攻撃を受け続けることになります。


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FranzJosephHaydn1732∼1809

PianoSonataNo.54inGmajor,Hob.XVI:40


전곡연속듣기
1.Allegrettoeinnocente/2.Presto
AlfredBrendel,Piano

음원출처:http://usoc.snu.ac.kr

FranzJosephHaydn(1732-1809)-생애

프란츠요제프하이든(FranzJosephHaydn)은오스트리아의작은마을로라우(Rohrau)에서궁정의수레바퀴제조자인아버지의12자녀중둘째로태어났다.어려서는삼촌에게서잠시음악을배웠고,1740년부터10년동안빈에있는성슈테판(St.Stephan)성당의소년성가대원으로있었다.

여기에서몇가지악기를배우기는했으나정식으로음악교육을받지는못했으며변성이되어더이상성가대원으로일할수없게되자1749년성가대를나왔다.1750년부터10년동안은교회의관현악단에서연주를하였고건반악기레슨도하였다.이때에메타스타지오의소개로이탈리아의작곡가이자성악선생이었던포르포라(NicolaPorpora)를알게되었고그에게서잠시작곡이론을배우기도하였다.그러나하이든은푹스(J.J.Fux)으l[Gradusadparnassum]으로대위법을익히는등주로독학으로공부하였으며1758년에는포르포라으추천으로모르친(KarlMorzin)백작의궁정음악감독이되었고,이곳에서목관악기를위한<디베르티멘토>와첫교향곡D장조를작곡하였다.

1760년,알로지아(MariaAnnaAlosia)와결혼하였다.그러나결혼생활은행복하지않았다고전해진다.1761년에는헝가리귀족파울안톤에스테르하지(PaulAntonEsterhagy)후작의궁정집사겸악장으로들어갔으며이곳에서30년동안음악에관련된전반적인일을맡아서하였다.이해에2개의첼로협주곡,콘체르토그로소와유사한교향곡6~8번엔,,을작곡하였다.작곡하는일이외에도연주가들을채용하고이들을교육하는일을하였다.에스테르하지궁에서는매일음악회가열렸고,주말에는오페라연주가있었으며수시로방문하는손님들을위하여하이든은언제나음악을준비하고있어야했다.이러한막중한일을불평없이충실하게수행하였으므로에스테르하지후작과관현악단원들의사랑을받았다.

1762년파울안톤에스테르하지가사망하고그의동생니콜라우스에스테르하지(NikolausEsterhagy)가그의자리를계승하였다.그는오페라극장과인형극장이딸린호화로운궁정을재건축하였다.하이든은이극장들을위해서5개이상의인형극과수십편의오페라를작곡하였고,니콜라우스후작이현악기의일종인바리톤(Baryton)을즐겨연주함에따라그의요청을받고바리톤을위한실내악작품을200여곡이상작곡하였다.

1766년,베르너(Werner)악장이사망하자하이든이악장이되었다.이때부터하이든은궁정을위하여더욱열심히일하였고,따라서더많은음악을작곡해야했다.1770년대부터하이든의명성은전유럽에퍼졌다.1780년초에는모차르트와만났으며교향곡과현악4중주분야에서서로가영향을받았다.

1790년,니콜라우스가죽은후그의아들안톤(Anton)제후가계승하였는데,안톤제후는궁정으어려운재정때문에오케스트라를해체하였다.하이든은풍족한연금을받고에스테르하지궁정을떠나빈으로이주하였으며이때부터궁정의계약에서벗어나자유롭게창작활동을하게되었다.1791년런던관현악단을위하여교향곡을위촉받고잘로몬(JohannPeterSalomon,1745~1815)의협조하에1791~1792년과1794~1795년두차례에걸쳐런던을방문하여이곳에서12개의교향곡을작곡하였다.1791년,옥스퍼드(Oxfold)대학에서명예박사학위를받으면서이날행사의여흥시간을위하여교향곡제92번을작곡하였는데이곡이<옥스포드교향곡>이다.

1792년에는빈에서베토벤을만나그를지도하였고,1795년에스테르하지가(家)를위해궁정악장직을다시맡고니콜라우스2세와그의부인을위하여6편의미사를작곡하였다.그밖에도몇편의현악4중주와종교음악,영어로된6편의시편송을작곡하였고,1797년에는’황제의찬미가’로알려진를작곡하여황제의생일에헌정하였다.이작품은오스트리아국가로사용되다가1922년에민네징거의시에서채택된새가사가붙여졌고,히틀러통치기간에는나치당의파티노래로쓰였으며1990년에는또다른가사를붙여서독일연방공화국의국가로사용되고있다.신교도찬송가<시온성과같은교회>의선율로도사용되고있다.

말년에는주로현악4중주와미사,오라토리오와같은종교음악의창작에치중하였다.1798년에는,1801년에는을작곡하였다.1803년에쓰기시작한현악4중주제103번은2악장만완성되었으며이작품을마지막으로하이든의창작활동은막을내렸다.

하이든은모차르트와함께고전양식의대표자로인정받았지만그는이미전시대의양식을경험했고직접사용도하였으므로그의작품에는바로크의모든양식과전고전주의의갈랑양식,엠핀트자멜양식,질풍노도양식의특징들이자주나타난다.

하이든의작품수는정확히전해지지않고있다.하이든과그의제자들이만든작품목록이있지만불완전하고믿기어려운부분들이많다.1919년에호보켄(AnthonyvanHoboken,1887~1983)이수집한유명작곡가들의작품5000개중1/5이상이하이든의작품이다.호보켄은이를제1주제별로목록을정리했으나후에다른음악학자들은장르별로목록을작성했다.현악4중주,교향곡,건반악기소나타의작품번호는호보켄의목록번호와일치한다.