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しかし、最上義光以後は没落。1622年、義光の孫・家信(義俊)は家臣の争いにより改易され、以後、山形城を現在の姿に整えた鳥居忠政(24万石)をはじめ、徳川家の親藩・譜代の大名が、石高を減少させながら次々と入城し、最後は水野氏5万石で明治維新を迎えます。
明治維新後、建物は全て無くなりましたが、1991(平成3年)に二ノ丸東大手門(上写真)が復元。また、城内には東北地方初の医学校と病院館として1878(明治11)年に建てられた旧済生館本館を移築。国の重要文化財に指定されています(現在は、山形市郷土館として使用)。
(写真・本文:裏辺金好)
本丸内部は2011年9月現在、復元されておらず。
こちらは水を張った堀が残っています。