JR磐越西線会津若松駅よりバス
伊達政宗に代わって、1590(天正18)年、豊臣秀吉配下の蒲生氏郷がこの地に移封されると、
蒲生氏郷の次は、その子である蒲生秀行が継ぎますが、
ところが1643(寛永20)年に加藤明成は改易され、
北側から見た姿。蒲生時代に構築された野面積(のづらづみ)の石垣の上に建てられた、五重五階の天守閣。
石垣内部には地下室である穴蔵もあります。
南側から見た姿で、天守の前に伸びるのは走長屋。
2001(平成13)年復元。当時の伝統工法を用いて建てられたもの。
天守閣から続く連続した建築群という、当時の状況が見事に再現されました。
現在は広場となっている本丸御殿跡。
入口の雰囲気。
本丸東側の石垣。なんと20mの高さで、城内一。
石垣は布積(ぬのづみ)で構築され、緩やかな美しい曲線を描いています。
高石垣を左右に配置した廊下橋。