(13) 忍城~埼玉県行田市~

忍城~埼玉県行田市~
OshiCastle

忍城の起源は諸説ありますが、15世紀後半に成田氏によって築城されたと推定されています。のちに成田氏は北条家配下となり、豊臣秀吉の小田原攻めでは石田三成の侵攻を受けます。このとき、城主の成田氏長は小田原に参陣していましたが、忍城を守る家臣たちは石田三成の水攻めにも耐え、落城を免れました。
 しかし、北条家が豊臣秀吉に降伏したため開城。徳川家の支配下に置かれ、松平家忠、松平忠康(忠吉)、酒井忠勝、松平信綱といった重鎮が城主に。そして、1639(寛永16)年に阿部忠秋が入封すると9代続き、その後は松平(奥平)氏5代が続き、明治維新を迎えました。
 現在、北谷門が埼玉県加須市の総願寺山門として移築されている以外は、往時の建物は残っておらず、忍城の特徴であった沼地の中に、複数の曲輪が浮島のように配された特異な構造も、僅かに外堀跡の水城公園に面影を見るのみです。その一方、1873(明和6)年作成の「忍城鳥瞰図」での描写をベースに三階櫓が復興されているほか、石田三成が忍城攻めに造った「石田堤」が僅かながら行田市内に残っています。
(撮影&解説:裏辺金好)

水城公園

石田堤