(9) 古河城・古河公方館~茨城県古河市~

古河城・古河公方館~茨城県古河市~
  KogaCastleinKogaCity,IbarakiPrefecture

古河城は、室町時代の古河公方の足利氏の根拠地。鎌倉公方だった、足利成氏が鎌倉から古河に鴻巣御所を築造し、1455年(康正元)に移ったのがはじまりで、その2年後の1457(長禄元)年、付近に古河城を築城します

 古河城は、江戸時代になると土井家などが治めて栄えますが、明治になって取り壊され、渡良瀬川改修工事時に多くが河川敷となり、完全に遺構は壊されてしまいました。ただし、市内の福法寺には古河城乾門が払い下げられ、現存している他、市内には武家屋敷の塀も存在おり、江戸時代の名残を感じることが出来ます。

 さらに、古河藩の家老・鷹見泉石などが住んだ屋敷も鷹見泉石記念館として、古河城の端に当たる場所に現存。鷹見泉石は、大塩平八郎逮捕に活躍した人物で、渡辺崋山とも親交がありました。

 なお、古河公方が最初に住んでいた鴻巣御所は、現在の古河総合運動公園にあり、堀が残っています。

(撮影&解説:裏辺金好)

▼アクセス
 JR東北本線古河駅より徒歩・バス

 ▼関連ウェブサイト
 古河市役所「古河城」


鷹見泉石記念館

 1633(寛永10)年に古河城主土井利勝が、古河城御三階櫓を建造したときの余材を使って、藩士のために建てたと伝えられています。奥氏・潮田氏・鷹見氏など家老を務めた人間が入居しました。

古河公方館(鴻巣御所)跡
館跡には重要文化財の古民家(後述)が移されているほか、堀がこのように美しく残っています。


古河公方館(鴻巣御所)跡の碑


旧中山家住宅 【茨城県指定有形文化財】
元は茨城県岩井市(現在の坂東市東部)にあった「直屋」といわれる型の農家で、南側に二カ所の出入り口が存在。
床板裏面の墨書に「延宝二年」(1674年)とあり、このころの建築ではないかと推測されます。


旧飛田家住宅 【国指定重要文化財】

 元は茨城県久慈郡金砂郷村(現在の常陸太田市金砂郷地区)にあったもので、18世紀前半の曲屋形式農家建築。L字型の突出部(南側)に「厩」があり、西側は「土間」、中央に広い「板の間」、その片隅(東北奥)に小さな「部屋」、さらにその東側には「座敷」が続いています。